昨日のタグで、「白河の関」について触れると、
2,3お便りを頂いたので、改めてもう一度勉強してみたいと思います。
折りしも、高校野球の真っ只中!
今日の結果は知らないけれど、東北勢も頑張っているようですね。
2004年に北海道の 駒大苫小牧高校が初優勝するまで、
高校野球の優勝旗は、「未だ白河の関を超えられない」と、
世間の声は言っていました。
それは、もともと東北地方と 北海道を合わせて、
白河以北と表現されていた事に基づいています。
その昔、東北地方への関所が ここ白河にあったのです。
関所と言うと、水戸黄門のドラマのように
大きな門があって、役人が通行手形を調べている情景を思い浮かべま
すね。
ところが、この「白河の関」はもっともっと昔、西暦700年頃の話であっ
て
しかも、文献や発掘によって ここにあったのではないか?と
推測されているのです。
最初に、それを調べて発表したのは
寛政の改革でお馴染み、白河藩主であった松平定信だそうです。
その場所に行って見ても、門のような物があるのではなく
碑が立っていて、白河神社と言うのがあるだけです。
白河神社は伊達政宗公によって 建立されています。
あらあら、愛媛とも縁がありますね。
そして、その頃作ったのであろうという
堀のような地形が残っています。
こんな堀くらいで、関所の役目をするのかなと 思ってしまいますが
つまりは、やまとの国が 北の原住民族から国を守っていたと言うのが
この関所の 本当の役目だったのではないでしょうか?
仕事ででもなければ、なかなかこのような所へ訪れることはありませ
ん。
これも何かの縁です。
白河以北の高校を、陰ながら応援したいと思います。