お留守番 二日目。
出張中なら、いそいそと新しい店を開拓しようとするのに
なぜか、地元に居ると 小ぢんまり まとまってしまいます。
家から歩いて、162歩。
つまり「俺のうどん」より ちょっと近い。
もうっ!これぞっ!食堂っ!
という佇まい。
「俺のうどん」のすぐ近くに
瀬戸内バスのバス停があります。
そのバス停は、今は「宮北」と言いますが
その昔、「三島病院前」という名前でした。
そう、ここに愛媛県立三島病院があったのです。
その周辺には、いわゆる「病院門前町」のような
ちょっとした賑やかさがありました。
今でも、酒屋さん、和菓子屋さん、
そして、タクシーの営業所等が残っています。
そんな、門前町の憩いの場が「食堂もりみ」でした。
見舞いの人や、付き添いの人はもとより
深夜勤務の看護婦さんの夜食、
また、抜け出して来たパジャマ姿の酒飲みまで
いろんな人で賑わっていました。
そんな門前町だった頃のつながりで
出前の注文は、今もかなり多いようです。
実は、今は亡き私の母親も
この病院の看護婦として、勤め上げたのです。
私が子供の頃は、10円玉を持っておでんを一本買いに行ったり、
薄っぺらな、お好み焼きをおやつに食べたり
暮らしに密着した食堂でした。
今夜は、中華そばと ちらし寿司。
ほっとするような、懐かしい味。。。
「踊るさんま御殿」を映すテレビの中から、
ミヤネさんが
「<一人が寂しい>と<二人が煩わしい>の狭間・・・・」
とか言ってるのが、
今 この姿を言われているよう・・・。
三島警察署の取調べ室で、もしもカツ丼が出たら
間違いなく、「もりみ」のカツ丼です。
警察署の武道場で、剣道を習っていた頃
出前のカブがやってくるのを
私は何度も 目撃しました。
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俺のうどん「愛」
鳥越うどんの、三島店がオープンして10日ほど。。。。
本日、いよいよ行ってきました。
その名も「俺のうどん・愛」
365日営業なのですが、
昼は、基本的に15時までで、
うどんが無くなったら、閉店ですから
これまでなかなか行けてなかったのです。
嫁さんが、娘の引越しの準備を手伝うために
大阪へ行ったので、今日は一人で昼食です。
ここは一発!行っとかないと・・・!
思い立ったのがまだ10時だったので
「三島の湯」で朝風呂に浸かり
身も心もきれいにしてから行きました。
真新しい暖簾をくぐってすぐに、
うどんを注文するところがあって、
その後に、てんぷらの乗ったタッパーが並んでいます。
ダシとうどんを、率直に味わおうと
「かけうどん」を注文しました。
讃岐では、ごくポピュラーなゲソ天があります。
実は、四国中央市のうどん屋では 珍しいのです。
(某チェーン店には有るかも知れませんが行ったことが無い)
ちくわ天や、掻揚げなど 数々のトッピングのほかに
無料の手作り漬物が置いてあります。
道の駅豊浜の近くの、鳥越うどんは
どちらかというと、かつお効いたダシだと聞いていましたが
こちらは案外、いりこが勝っているように感じました。
麺は、本格派!
エッジの立った!と、良く表現されますが
まさにその通り。
うどんの断面を見た時に、四隅の角度が
90度より若干小さい。。。。つまり
こんな感じ。
練り具合・踏み具合・茹で具合 などなど
様々な要素で作りあげられる
シャープな喉越しうどんの完成形だそうです。
我が家から歩いて187歩(当サイト調べ)ですから
夜にかけて、開いている店なら、通えるのですが・・・・。
とはいえ、夜遅くまで開いているうどん屋は
どちらかといえば、え~と・・・・。
二人の娘から・・・
今朝の、黄砂は凄かったですね!
車の上にも、かなりの黄砂が積もっていました。
昼頃には青空がのぞいて来たので、
もう大丈夫だろうと、簡単に洗車をしました。
その真っ最中、郵便やさんが荷物を。
離れて暮らす、次女からの荷物です。
開けて見ると、なんと!!
スターバックスのコーヒー豆です。
就職して社会人になったばかりですが
早速、我が家の必需品であり大好物の
コーヒーを送ってくれたのでした。
ありがたいことです。
そんな日の夕刻・・・・。
今度は、くろねこ宅急便が荷物を届けてくれました。
離れて暮らす、長女からの荷物です。
なんと!卒業旅行先の北海道から
ベニズワイガニでは無いですか!!
ありがたいことです。
二人とも、それぞれ
自分の道を自分で見つけて
充実した日々を送っているようです。
われわれも、負けないように
一日一日を大切に過ごさないとね。
春の花咲く
このところ、気温の変化が著しい。
昨夜、ウォーキングしていたら
耳が痛いほどの寒さ。
そして、今日日中は20度を越える暖かさ。
夕暮れからは、やまじ風が吹き荒れて
生暖かい空気に・・・・・。
もうすぐ春雨が降るのでしょう。
部屋の中には、チューリップの花が。
ちょっと露出オーバーにして
春らしい感じにして見ました。
無理やり明るくすると、ノイズ感が出ますが
そこが、ポラロイド風になってますでしょうか?
マーガレットも、淡い春の味付けで。。。
「JTrim」という、画像加工ソフトを使っています。
先ず、画像を正方形に切り取って、
450X450に、リサイズします。
正方形の画像に、枠を付けます。
上下左右を個別に指定する、
というチェックボックスにチェックを入れて
下を80、上と左右は10ピクセルにします。
次は、影を付けます。
オフセットや、ぼかしをいろいろ試しながら
サイズを決めます。
以上で、ポラロイド風の写真の出来上がりです。
ああ!失われた記憶
ゴミ箱を空にしてしまったり、
それより良くあるのは、うっかり
メモリカードをフォーマットしてしまったり!
貴重な写真や思い出を消してしまって
慌てた事は無いでしょうか?
そんな失われたファイルを復元してくれるソフトが
無料であるので、御紹介しましょう。
http://dmitrybrant.com/
ここにアクセスして、「diskdigger」というタブから
ソフトをダウンロードします。
ファイルの復元は、FATなどのファイル情報から復元する方法と、
直接メディアをチェックして、ファイルの痕跡から
復元する2とおりの方法があります。
ソフトを起動したら、ドライブが表示されるので
復元したいドライブを選択し、
チェック方法を選んで”NEXT”をクリックします。
すると、削除したファイルのリストが表示されます。
プレビューウインドウには、
無くなったはずの画像が表示されてます。
後は保存先を指定して、レストアするだけ。。。
デジカメのSDカードを、うっかりフォーマットしてしまっても
これを使えば大丈夫!
覚えていて損は無いですよ!
ノスタルジックカメラ28
期せずして、2日続けての「ノスタルジックカメラ」です。
と、言うのも 今日このカメラが新しく
私のコレクションに加わったのです。
勤めている会社の、大奥様から頂きました!
「ぺトリRF」というブローニーフィルムを使う
セミ版というサイズのカメラです。
「RF」というのは多分レンジファインダーの略でしょう。
2眼式の距離計が備わっています。
しかし、レンズのピントリングとは連動していないので
距離を計って数値を読んで、
それをピントリングに移す作業をしなければなりません。
巻き上げは、裏蓋の赤窓という 小さな窓から
フィルムに付いている裏紙の数字を読むものです。
近頃、トイカメラが流行って
ロシア製のHOLGAなどのブローニーフィルムを使うカメラが
雑貨屋さんで売っていたりして
つまり、シャッターが生きていれば
現役で使えるという代物です。
メーカーは栗林(くりばやし)カメラ
昭和27年製造です。
レンズは75mmF=3.5
シャッターはカーベルB、1~1/200秒
これとよく似たカメラをいくつか持っていますが
小西六(現コニカ)のパールに良く似ています。
この形のカメラを、総じて「スプリングカメラ」と呼びます。
バネの力で、レンズが飛び出して
スタンバイ状態になる事から、そう呼ばれるのです。
つまり、たたまれた状態では
このようにコンパクトです。
この後、2眼レフが大流行して
スプリングカメラは、姿を消して行きます。
しかし、そのレトロな姿は
なんとも味のあるカメラですね。
ノスタルジックカメラ27
あれ?前回のカメラと似ている?!
先日のカメラが「オリンパス35RC」
そして、今日のカメラは「オリンパス35DC」です。
同じ頃に発売された、35mmフルサイズの
コンパクトカメラです。
「DC」はデラックス・コンパクトの略。
何が、デラックスかと言うと
自動露出によって、暗い被写体から
高輝度の被写体まで、適正な露出が得られるというものです。
さらに、ストロボに付いても
プログラム露出で撮影可能です。
ちょうど、家族みんなでカメラを使い始めた時代で
女性でも簡単に写真が撮れるようにという
コンセプトで作られています。
「RC」は、マニア向けの高度な使い方が出来て
「DC」は、家族みんなで失敗無く撮れるというわけです。
値段は33800円。
レンズはF-ZUIKO 40mmF1.7
いま、1眼の交換レンズで
F1.7のレンズとなると
カメラ本体より高い値段になっていますから
貴重なレンズですね。
やまじ のち 黄砂
日本三大局地風の「やまじ風」が収まったと思ったら
北西の風と共に、「黄砂」がやってきました。
今日15時頃、大王岸壁から、法皇山脈を見たところ。
正面ちょっと左が翠波峰(892m)。左端が豊受山(1250m)です。
黄砂といえば、大気汚染やアレルギーなど
悪いことしか浮かびませんが、
ちょっと調べてみたところ、案外良いところもあるようです。
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砂や砂に付着した物質によって、
土壌や海洋へミネラルが供給され、
植物や植物プランクトンの生育を促進する作用もあり、
黄砂に土壌を肥やす効果があることも指摘されている。
黄砂の成分であるリンや鉄などが、海洋のプランクトンや、
ハワイの森林の生育に関わっているのと研究結果もある。
また、黄砂に含まれる炭酸カルシウムには中和作用があり、
黄砂の飛来と雨が重なると、雨を中性・アルカリ性に変える。
そのため、酸性雨の被害軽減にも寄与している。
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人間の感覚や時間的スパンで言うと
迷惑千万であるかも知れませんが
地球の営みの中では、
ごく正常な、ありきたりな日常なのかも知れません。
お爺さんと山へ芝刈りに
昨日とは 打って変わって
今日はやまじ風が吹き荒れました。
駅伝大会が、今日のような天気でなくて
本当に良かったです。
良かったと言えば、昨日は
駅伝応援の前に、朝から山へ行ってきたのです。
それは、富郷からさらに20分ほど
山道を登った、豊坂という集落。
親父を助手席に乗せて、
ほんの少しの杉林の偵察に行ったのです。
杉花粉の盛んに飛ぶ季節ですから
花粉症を患っていないとは言え
発症しないか、心配っちゃあ心配。。。。
山道の脇には、まだ雪が残っていましたが
山里にも春は来ていました。
翠波高原の菜の花畑も
そろそろ見ごろでは無いでしょうか?
愛媛県クラブ対抗駅伝
今日は、四国中央市運動公園を中心に
第44回愛媛県クラブ対抗駅伝大会が催されました。
このレースに、私がお世話になっているジムの
インストラクターであり、
アフターファイブの遊び仲間である
山田コーチが出場すると言うので
ジム仲間たちで、応援に駆けつけました。
ジムでは、トレッドミルで10km走ったりしていても
実際のレースを見るのは、今日が始めてです。
独特の緊張感と熱気に、
応援するものも結構エキサイトしました。
好天に恵まれ、200チームを超える
大きな大会も、順調に進んだようです。
我等が山田コーチも、颯爽と走っておりました。
運動公園を出発して、寒川海水浴場までの海岸線の道は、
風光明媚で、ランナーも快適だったのでは無いでしょうか。
我々応援団と言えば、
レースが終わるや否や
バザーのブースに駆けつけて
応援席から行列までの区間賞を獲得。
その獲得賞品は、「肉ぶっかけソバ」
なんと私の後ろで肉が切れると言う
きわどい入着でした。