「シコチュー探訪」カテゴリーアーカイブ

遍路小屋プロジェクト


 

日々通る散歩道が遍路道  (邪無)

我が家の近くにも、遍路道の道案内の石標が建っています。

西は、64番前神寺。東は、65番三角寺。。。。

その遍路道沿いに、お遍路さんの休憩所があります。

 

近頃、車で走っていると、

四国のあちらこちらに、このような休憩所が出来ていますね。

 

 

「お遍路さん休憩所。ヘンロ小屋・秋桜・第四三号」

と、書かれています。

 

と、言うことは 少なくとも43軒の休憩所が

]既に建てられているんですね。

う~ん、いったい誰が建てているんだろう。。。

ちょっと調べてみました。

すると、「四国八八箇所ヘンロ小屋プロジェクト」

というのがあるんです。

 

 

 

近畿大学教授で、建築家である「歌一洋」さんが

中心に進めているプロジェクトだそうですよ。

 

この四国全域1400kmの遍路道に、

歩き遍路さんのための、

休憩・仮眠ができる「ヘンロ小屋」を

ボランティアで造っていくという

プロジェクトだそうです。

 

例えば、この「コスモス休憩所」を例に見てみますと、

先ず、土地は四国中央市が貸し出しているそうです。

 

そして、「歌一洋」先生が設計を担当されています。

四国中央市のシンボルの花がコスモスで、

翠波高原はコスモスの名所です。

 

小屋の両側の妻の部分に、

スラリとして立つコスモスのイメージをあしらっています。

屋根も赤みがかっていて、

コスモスの花の色を連想させます。

ベンチの背もたれ部分には、細い木を縦に並べています。

これも、コスモスの繊細さからの発想です。

また、小屋の中のテーブルと椅子は、市章を木で表しています。

 

休憩所の彼方に見える、豊受山や赤星山には

まだまだ、白い雪がかぶっています。

でも、この真新しいヘンロ小屋は

なんとも言えない暖かな空気を

含んでいるような気がします。

 

お遍路さんが休んでいたら、ちょっと声をかけて

お話をしてみたい・・・・・そんな空間ですね。

ヘンロ小屋プロジェクトのサイトはこちらです。

 

 


たそがれ海水浴場・冬


「寒川豊岡海浜公園ふれあいビーチ」

さすがに、真冬の海辺に人影はありません。

きっと綺麗な夕陽に出会えるだろうとやって来ましたよ。

 

 

予想通り、波は穏やか、風は爽やか。

昼間、太陽に十分温められた砂浜は、

その余熱で、ほんのり暖かく感じる程ですよ。

 

 

夕焼けのビューポイントとしては、

松山市北条の道の駅「風早の郷、風和里」や

伊予市の「ふたみシーサイド公園」などが有名ですが

ここも、なかなか侮れないです。

 

 

 

なんと言っても、あんまし有名でないので人が少ない。

つまり、こんな絶景を独り占め出来るんです。

今日も、日没までの30分ほど

誰もやってきませんでした。

 

 

 

このまま春になるのではないかと、

つい、楽観的になるような

のどかな2月の海の風景。

 

 

 

でも、また明日からは天気は下り坂だそう。。。。

まさに三寒四温のルーチンに入ったようです。

つまり、一雨ごとに春は近づく。

 

シコチューは、工場ばかりのようですが、

こんな砂浜も、一応残っています。

今度晴れたら、夕焼け鑑賞にいかがでしょう。


四国高速道クロス地モニュメント


 

 

高速道路の側道を走っていると

目の前に突然、キラキラとした

モニュメントが現れます。

 

 

周りの雑草に似合わない、

妙に煌びやかで滑らかな物体。。。。

無限大の記号のような形です。

 

 

実はこれ、四国の高速道路をモチーフにしたオブジェです。

松山道と高松道、

そして、徳島道と高知道。。。。

4本の高速道路の交差点。

 

 

まさに、四国中央市の名前の

由来する地点とも言えるわけです。

 

ちょうどわが町からは、

どの県庁所在地も1時間で行けるという

まさに四国の中央。

 

逆に言うと、

どこの県庁所在地も、1時間かかってしまうんですけど(笑)

 

 

一応展望台になっていて、

4本の高速道路の複雑なジャンクションが眺められます。

が、実際は雑草に覆われていて

背伸びしないと見えまへんがな^^

 

 

33.997617, 133.616069

伝説を暴く


年末にテレビで放送されたM-1において、

優勝した漫才コンビ「ミルクボーイ」が

ネタにしたことで一躍メジャーになった「最中」

 

四国中央市川之江に、「柴田のモナカ」という銘菓があります。

安永年間創業と言う事で、江戸の中期・・・・・

230年を超える老舗です。

 

「柴田のモナカで、お汁粉を作るとめっちゃ美味い!!」

という、言い伝えがあるのですが、

周囲にやった事があると言う人間は居ません。

頂き物で、柴田のモナカが数個あります。

 

しかも、嫁さんがウォーキングに出かけました。

 

 

本当にモナカで お汁粉が出来るのか

わたくし、体を張って実験して見たいと思います。

 

用意するのは、熱々に沸いたお湯。

後は、お椀とお箸とモナカとチャレンジ精神。

普通に買ったら、1個170円もするので

こんな実験、恐ろしくて出来ません。

 

特に、嫁さんが居るところでは・・・・・。

 

 

さあ、おもむろにお湯をかけますよ。

上等の皮から、香ばしい香りが立ち上ります。

 

(柴田のモナカは打ち出の小づちの模様が入っている)

 

で、一気に皮は形を失っていく。。。。。

しかし、アンは固いまま。

そこで、念入りに箸でまぜまぜ。。。。

あんこが黒くないので、

なかなか汁粉っぽい色にはなりません。

 

 

だんだん、トロみが付いてきました。

しかし、見た目は良くないなあ。

 

さ!味見をして見ましょう。

おおっ!美味い!甘さもちょうど良い!

そして、とろけた皮が餅っぽい!

見た目は残念だけど、味は抜群です!

急にお汁粉が必要になったとき、

この手は使えますよ!

って、そんなときがあるかどうかは別として。。。。

 

どっちにしても、お客さんには出せんなあ。。。

この見た目では・・・・。

 

 

 

 


畠山城(塩釜神社)


 

 

 

国道11号線の、川之江町塩谷の信号。

その角に、古めかしい石段があります。

 

前々から、気になっていたので

ちょっと探索にやってきました。

 

JAM_5798

10段ほど登ったところに、

鳥居があって、「塩竃神社」と書かれています。

 

今の漢字で書くと「塩釜神社」

 

きっと、この辺りは塩の生産が盛んだったのでしょうね。

 

JAM_5798-1

 

わたしが気になっていたのは、その上にある

妙に立派な石垣。

 

階段の両側にある石垣が、

ただの神社とは思えない、

立派な石垣なんですよ。

 

 

JAM_5804

その反り具合が、城の城壁を思わせる。

もしや、城跡の名残りではなかろうか・・・・。

 

石段を登り、その石垣を間近に見ると、

勝手な想像が、確信へと変わってきましたよ^^

 

 

JAM_5803

 

石段を登り切ると、そこは平らで意外と広い。

その広場に、神社の祠があります。

 

ここはきっと城だったに違いない。

 

 

JAM_5801

 

祠の周辺を探索すると、なんと!

「畠山城跡」という石碑を発見。

 

今日のところはここまで・・・。

いつの時代の、誰による城なのか?

興味は尽きないのですが、資料が少ない。

週末に、川之江の図書館で調べてみます。

乞うご期待。。。

 

34.019545, 133.576395

シコチューアルプス冠雪。


 

四国中央市の法皇山脈が今年初冠雪です。

標高800m辺りから上が真っ白になりましたよ。

 

 

稜線の形が、空に映えてなかなか美しいですね。

この写真だけ見たら、どこの高山かと思うほどです。

まさにアルプスのようではないですか?

四国には、もっと高い山がたくさんありますが

この法皇山脈は、里の背中にそびえ立っているので

いかにもそそり立った山並みに見えます。

 

この山が、「豊受山」で1247m。

通称「おといこさん」

このすぐ西には「赤星山」が1453mで並んでいます。

例年なら、この時期は霧氷が着く時期がしばらく続いてから

そのあと、冠雪になるのですが、

今年は、霧氷の時期がすごく短く、

いきなり初冠雪を迎えました。

 

海辺からすぐそこに1000m級の山々がそびえているので

独特な風景になってます。

 

海岸線に立って、頂上を見上げる角度は、

富士山よりも高い。

 

これを風光明媚と言わずして

何と言うでしょう!(笑)

ここに暮らすことに感謝いたします^^


翠波峰頂上公園


 

 

翠波高原は、春の菜の花、秋のコスモスで有名です。

 

JAM_4797

 

そこから、もう少し山頂近くまで車を走らせると、

翠波の広場という、公園が有りますよ。

 

公園と言っても、東屋があって、

ベンチが幾つかあるだけの広場です。

 

JAM_4782

 

この広場からは、燧灘が一望できます。

天気が良ければ、しまなみ海道や、

向かいの、広島県、岡山県まで見ることが出来ます。

 

そして、瀬戸の島々や、四国中央市の町並みなど

箱庭のように、眼下に望むことが出来ます。

 

JAM_4795

 

広場から、南西の方角を見ると、小高くなっていて

そこに、翠波峰の頂上が有ります。

 

頂上の周辺は、自然の草むらですが、

娘たちがまだ小さかった頃、

ここでよく、ソリ遊びをしていましたよ。

 

 

 

 

JAM_4783

 

この翠波峰の標高は、国土地理院の情報では

889.6mとなっっています。

 

翠波峰は、実は2峰に分かれていて、

三角点は、その中間点あたりにあり、

一番高い部分では無いんです。

 

したがって、この頂上部分に立つと、

多分、900mに届くのでは無いかと思うのです。

 

 

JAM_4787

 

ここまで登ると、今度は南側に四国山脈が見えて、

その手前には、銅山川が見えますよ。

 

ちょうど足元が金砂湖で、なかなか風光明媚なところです。

 

菜の花や、秋桜の時期以外でも、

気軽にピクニックが出来ますよ。

 

翠波峰

 

 

 


生き木の地蔵 


 

 

それは、川之江の切山地区にあります。

香川県へ抜ける県道9号線から、400mほど入った林の中。。。

昼尚暗い、うっそうたる森の中。

その名のとおり、生きた木に彫られたお地蔵さんです。

 

 

全くもって、健やかに生きている木です。

その麓に、お地蔵さんが掘られているんですよ。

もともとは、300年も昔に彫られたものがありましたが

その木が弱ってきたので、

今の木に、新しく彫られたのだそうです。

 

 

古いほうの「生き木の地蔵」は、今は祠に納められて

それでも朽ちてはおらず、

お地蔵さんも、その優しい姿をとどめています。

ふつう、このように手を加えられると

木の勢いが弱って、枯れてしまいそうな気がするのですが・・・・。

 

 

お地蔵さんの、姿も穏やかで

彫られた木も健やかで、

なんとも不思議な、そして妙に有り難~く感じるんですよ。

 

 

 

 

 

 


三島名物?つるかめ 


 

 

伊予三島の秋祭りは、東予地区で最後の祭りと言う事で

神社の境内に、所狭しと出ている露店が賑やかです。

 

露天商も、今年最後の稼ぎ納めというわけです。

昔は、もっと賑やかで、

お化け屋敷や、見世物小屋などの呼び声が響き渡って

お祭りムードを盛り上げていたものでした。

 

そういう、大きなテントが無くなったのは

ちょっと寂しいですね。

 

そんな中、今も昔も変わらず大人気のお店があります。

 

派手な看板も何も無いけど、いつも行列。

それが「つるかめ」です。

 

「つるかめ」って、他では無いと聞きますがいかがでしょうか?

 

どんなものかと申しますと・・・

 

 

まあ言ってみれば、たい焼きの鶴と亀バージョン。

鶴と亀、一対が1セットになっています。

 

中にはこしあんが入っていて、

もっちりした皮に包まれているというわけです。

 

 

たい焼きより 二回り小振り。

みんな、20個30個と買って帰りますよ。

 

サクサクもっちり、二口ほどで食べられるので

どんどん食べてしまう^^

 

 

「鶴は千年、亀は万年」のつるかめですから

お祭りにはぴったりのスイーツです。

 

30分待ちは当たり前ですが、

三島祭りに訪れたなら、行列にならんで見てはいかがでしょう?

なんと言っても縁起物ですからねぇ(笑)

 

三島祭りは、10月21日~23日です。

 


我が街のシンデレラ物語り


 

 

四国中央市の、土居町に「お作池」というのがあります。

周囲10mほどの、地味~な池です。

 

 

この池には、まさに日本版シンデレラとも言える

興味深い話が語り継がれているんですよ。

それは、江戸時代。1714年のことです。

西条藩主であった、松平頼致(よりよし)が領内を巡視のため

宇摩郡津根郷八日市を訪れました。

 

喉の渇きを覚えた頼致公は、服部幸左衛門の屋敷の門を叩き、

一杯の水を所望されました。

娘のお作さんが井戸水を汲み上げて、

うやうやしく頼致公に差し出しました。

その気品ある礼儀正しい振る舞いや人柄が頼致公の目に留まり、

西条藩江戸屋敷に出仕することになります。

 

 

これだけでも、スゴイことなんですが

この話は、さらに凄い事になりますよ。

 

紀州徳川家当主だった吉宗公が8代将軍となったために、

いとこである頼致公が紀州徳川家6代目を継ぐことになり、

徳川宗直と名を改めます。

 

お作さんも、55万5千石の大大名の側室になった訳です。

1720年には嫡男・宗将(=紀州徳川家7代)が生まれます。

他の9人の子どもたちもそれぞれ大名家の跡を継いだり、

前田家や細川家や池田家など有力大名に嫁いでいきました

 

 

つまり、あの徳川家の側室が

この土居町出身の、町娘であったと言う話です。

この地には、徳川家から様々なものが奉納され

ゆかりのものが数多く残っているそうです。

 

津根にある、一宮神社の境内には

水戸黄門の印籠でお馴染みの

「三つ葉葵のご紋」が入った石灯籠が残っています。

 

 

そして、このお作池の傍には、

あの時、頼致公に差し出した水が

今も、静かに流れ出ているんです。

身近なところにも、壮大なドラマがあるものなんですねぇ^^